主日の典礼

8月4日 年間第18主日 
ルカ12:13-21 

 神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。(二十節)

いろいろと苦労して、そして安心立命を図ったとしても、完全な幸せを手にすることはできない、ということを人間は理解しているのでしょうか。います。とはいえ、今日の福音のたとえ話に登場する金持ちの「安心の独り言」をだれが笑うことができるでしょうか。わたし自身も、少しでも安全な場所にいたい、何の心配もなく生活したいと考えてしまいます。

けれど、イエスの名で呼ばれるキリスト者は、そのような安全地帯のもたらす「ぬるま湯感」からは、すっぱりとおさらばする必要があるのです。

そうです。そこに留まっていてはならないのです。ちょっとくらいは大丈夫かな…、これくらいならいいかも…、まだ時間があるし…、等々、いろいろな理由付けがわたしたちをその場所にとどめてしまいます。このたとえ話の金持ちのように、「さあ安心だ、ゆっくりしよう」と、自分のことだけになってしまうのです。それが人間の傾きです。

もちろん、幸福を求めることが悪いのではありません。人間は、みんな幸福になる権利があります。けれどそれは、この地上における立身出世、栄耀栄華(古いなー)ではないということをイエスは教えられています。

どんなに財産をため込んでも、人のいのち、人生はそれだけで完成されるでしょうか。人のうらやむ業績をものにし、人々の称賛を受けることが、本当の幸福であるといえるでしょうか。自分の才能だけを頼りにして、人の到達できないことに邁進し、ほかの人々を見下すことが幸福なのでしょうか。自分のため、家族のためだけに少しでも良い生活を求め続けることは、本当に正しいことなのでしょうか。

わたしたちは、今一度立ち止まって考える必要があります。なぜなら、わたしたちの傲慢と自己中心の生き方が、この世界を破壊し続けているからです。少しでも快適な生活をしたいからと言って、安易にプラスチック製品を使用することで、世界を廃棄物でいっぱいにし、電気をふんだんに使うために、環境を破壊し、再生不可能の原子力発電を許す。人間性を無視した過酷な労働によって、多量の商品を供給し、これでもか、と売りまくってお金を儲けようとする。

その他たくさんのわたしたちの勝手な生き方が、この地球を痛めつけ、ひいてはわたしたち自身をも痛めつけているというのに、ちっともそれに気が付かずに、今この時だけが良いなら、それで良いと思っているのではありませんか。

わたし自身、本当に反省しなければなりません。一度、快適なこの生活様式を知ったうえで変えてゆくことは、本当に大変なことでしょう。けれど、今、生きている間は、まだ間に合うのです。金持ちのように、「今夜、お前の命は取り上げられる」と言われてからでは取返しもつかないのですから。生きているこの時、何度失敗しても、また改めて始めようと、イエスの生き方、福音の生き方を続けてゆけますように。


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8月11日 年間第19主日
ルカ12:32-48


「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」(三十四節)

あなたの心はどこにあるのですか。イエスの言われることばが身に沁みます。祈りをしているとき、聖堂にいるとき、姉妹と話しているとき、食事の時、わたしの心は、わたしを離れて、勝手気ままに好きなところを漂っているような気がします。それは、わたしの心とわたし自身がバラバラになり、イエスのことばに気をとめることもなく、ただ時間を過ごしているだけのようです。

 特に祈りの時や、黙想の時、気が散ったり、バラバラな考えに身を任せていたりと、心が映像に映るようなことがあったら、ほんとに「何やってるんだろう」と恥ずかしくなるでしょう。テレビではありませんが、「ボーッと生きてるんじゃないよ」と言われかねません。

イエスは、「あなたがたの富」がどこにあるのか、問い直しておられるのです。わたしの一番大切なものは何でしょうか。みことば、福音、ご聖体、教会、姉妹たち、家族や友人でしょうか。もしかしたら、お金かもしれません。あるいは、どうしても手放せない大切なものかもしれません。ものではなくて、思い出や、時間や、自分のこだわりや、意見や、考え方かもしれません。

執着するということが愛を妨げるのだ、とデ・メロ神父は著作の中でおっしゃっておられました。本当にそう思うのですが、執着しないということが、こんなにも難しいことであると日々、身をもって体験します。

 小さなことでもそれにこだわり、手放さない限り、手の中に「愛」は入ってこないのです。あまりにも多くのことに、心を散らすことがないように、執着から解き放たれますよう祈ります。


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8月18日 年間第20主日 
ルカ12:49-53


「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか」(四十九節)

イエスは「平和」を告げられたのではなかったでしょうか。「地上に火を投ずる」とは、激しいことばです。続く箇所では「分裂をもたらすために来た」と述べられます。イエスは分裂を望んでいるのでしょうか。

わたしたちは「平和」であること、表面上の「一致」を望みます。それこそ、いらぬ波風を立てることはしないほうが良いと考えてしまいがちです。それでよい時もあるかもしれませんが、そうは言ってられない時も確かにあるのです。

本当に「わたし」のこだわりを捨てても、波風を立てるとわかっていても、言わなければならない事、反対しなければならない事があります。また自分の言うこと、考えることに反対の意見を言う人もいます。腹立たしいと思ったり、怒られたり、いやな気持にさせられたり、また、させたりします。わたしたちの生活では、そのようなことはしょっちゅうありますが、さて、イエスの言われる分裂のためにわたしたちはどのように働くことができるのでしょうか。

分裂では困るから、と考えるのが普通でしょう。確かに組織はある程度の「やり方」「方法」「組織的な行動」が大切です。それがなければ組織として成り立たないからです。けれど、よく言われるように「長い物には巻かれろ」では、いつまでたっても組織は変わりませんし、かえって停滞をもたらし、ひいては、組織自体が存続できなくなります。発展、刷新を行わない組織は、衰えてゆくのです。

 確かに、わたしたちの日本社会のありようを見ても、そのように感じられます。何とはなしに停滞している社会、未来に明るい希望を望めない社会、経済優先といわれながら、貧富の差が拡大している社会、落ちこぼれ、いじめ、引きこもり、様々な人、弱い立場に追いやられた人々の苦しみに目をとめない社会。このような現代の日本社会のひずみの原因の一つは、多様性ではなく「画一性」、一人一人を大切にしているのではなく、単なる能力優先主義、個人の自由を唱えながら、反対意見の存在を許さない視野の狭さ、エゴイズム。それぞれが、わたしたちの社会を「平和」「一致」しているように見せかけているもののように感じます。

多くの人の意見を尊重するのが民主主義なのではなく、少数の意見をも大切にし、多数であることに胡坐をかかないのが本当の民主主義だと思います。 イエスは、わたしたちの安易な妥協、迎合、エゴイズムを打ち砕き「分裂」をもたらすものとして、厳しい姿勢でわたしたちを叱咤激励されているのではないでしょうか。


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8月25日 年間第21主日  
ルカ13:22-30  


「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ」(二十四節)

狭い道、狭い戸口の特徴とは何でしょうか。「狭い」のですから通りにくいのです。また、見つけにくい道かもしれません。多くの人が選ぶなら、そこは大きな戸口になるでしょうから、あまり人が来ない、つまり人気のないところです。もしかしたら、暗くて、汚くて、魅力的ではない戸口かもしれませんし、人が使わないので、固く閉じられている可能性もあります。

 どこかでそんな戸口を見つけたら、入っていくでしょうか。誰もいないなら、少し躊躇しますし、危ないかも、と考えてしまいます。

けれどイエスの言われる「狭い戸口」は、実は大きくて、広くて、きれいで、たくさんの人が通っている入口です。教会の歴史において、多くの人がその入り口から入り、イエスとの出会いを果たしたのです。たくさんの聖人、殉教者、使徒たちが、わたしたちの先にその戸口から入っているのです。

けれど、その戸口を選ぶ人の少ないのも事実です。入っても出ていく人もいるかもしれません。また、たくさんの人が入ろうとしているのに、わたしたちが扉を閉めて入れないようにしていることもあるのです。その戸口を探している人に見つからないようにしたり、隠したり、自分だけが入るつもりだったりして、実は中に入るのはやめているかもしれません。入ろうとしても入れない人がいるのに、その戸口を知っていながら、入ろうとしないのはなぜでしょうか。扉が閉まってから、「開けてください」と言ってももう遅いのです。

わたしたちはその戸口の重要性を知ってはいても、本当に自分のものにしていないのではないでしょうか。知っていて、自分がその小さな扉から入って、素晴らしいことを理解したなら、その扉を大きくしたり、人が入ってくるように工夫したり、人を大勢招くために、いろいろと努力するのだと思います。

まだ時間があると考えないことが必要です。一瞬一瞬がそこに入るかどうか、選択を迫られているときなのです。どうか、その選びを大切にし、間違うことのないように神様の助けを願いたいものです。


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